多次元的存在として生きる

INTERDIMENSIONAL LIVING

祈りの道、神性を生きるということ

人間とは多次元的な存在です。多次元的とは、見えるものだけではなく、見えないものに価値を置くということです。

見えないものとは、神仏、祖先、大天使、宇宙の大霊、聖霊やエレメンタルな存在、そして大自然に息づくすべての生命あるものの意識……これらの言葉は同じ一つのものでもありますが、RINで行う霊的なヒーリング・ワークも、こういった大いなる存在の助力を受けて成り立っています。

祈りの道も多次元的な生き方です。日々、祭壇に向かって祈りを捧げていなくても祈りが素朴な言葉として日常にあり、他者や世界を想い祈ることが、やがて神性の流出へと至る祈りの道なのではないかと思います。

オーラが見え、チャネリングができたとしても、自然への畏怖や宇宙へ意識が広がることの感動がなければ、豊かな霊性を得たとはいえません。自分を手放し、大いなるものとのつながりを取り戻したとき、そこには光も闇もなく、悲しみもなく、愛や憎しみ、健康と病、生と死……それら二元性のスクリーンに映し出された幻想は消え、過去も現在も未来もなく、ただ永遠の私だけが、休むことなく変化し続ける私だけが、いたるところ全てに存在する統合を経験するときがいつか来るかもしれません。

深く静かな感激と、至福、窮屈な肉体から解放され、至高無限の境地に意識は拡大し、永遠なるものと私が溶け合う……そのような宇宙的体験に比べれば、スピリチュアルな様々な現象もしょせんは、注意を引くためのオモチャにしかすぎないのです。

肉体という物質の牢屋に閉じ込められ、意識を制限された状態で物質的な生活を送っている限りは、霊と心と肉体の関係について明確な理解を持つことは難しいものです。気苦労が絶えないときに、意識の焦点をはずし、支援しようとしているたくさんの眼に見えない存在たちに気づける人は多くはありません。

このコーナーでは、霊性を生きるということと、そして困難なときや誘惑に負けそうなときこそ霊性とつながるための生き方をご紹介します。

霊的な気づき―大自然との対話―

多次元的な存在として気づきを得るために、最初に何を紹介しようかと迷いました。人間存在やパラレル宇宙論について語ってもおもしろいのかもしれませんが、まず初めに私自身が感銘を受けた、写真家・星野道夫の言葉を紹介させてください。星野道夫は主にアラスカを舞台に野生動物や荘厳な大自然の写真を撮り続けた人です。

われわれは、みな、大地の一部。おまえがいのちのために祈ったとき、おまえはナヌークになり、ナヌークは人間になる。いつの日か、わたしたちは、氷の世界で出会うだろう。そのとき、おまえがいのちを落としても、わたしがいのちを落としても、どちらでもよいのだ。(『ナヌークの贈りもの』より)

ナヌークとはイヌイットの言葉で白熊を意味します。星野道夫は深い霊性を持った人でしたが、大自然の中に身を置くと霊性が醸成されるという研究結果もあるそうです。

現代はテクノロジーが発達し、生活はどんどん便利になりました。日本に関していえば、戦後の高度経済成長を成しえたからこそ、今の豊かさがあります。こういったプロセスも人間や地球にとって必要だったのですが、その結果、私たちに今問いかけられているものは何でしょうか。

日本に出回っている食品の1%があればすべての国民に行き渡るといいます。物質的な生活は豊かになり、交通も通信も便利に早くなりました。その豊かさは私たちの可能性を広げてくれもしましたが、いつの間にか人は自然や宇宙とのつながりをなくしてしまったのです。お金も仕事もあるのに、幸せではない人が現代では多くいます。人間が自然と共生し、生きがいを感じ、幸せに生きる道を見出せていないという点でテクノロジーは未熟なのです。

この世界には眼に見える現象的なものだけではなく、眼には見えない高次のエネルギーが関わっています。肉体をはじめ物質を軽視するということではありませんが、霊性を生きるということは物質を超えたエネルギー、すなわち光を導いて生きるということです。

宇宙の成り立ちに思いをはせ、大いなる存在とつながることで自分という存在が何かに気づくとき、意志や想いは力を持ってその人の中で輝きだします。私たちは叡智に導かれるように生きていくでしょう。星野道夫のように大自然の中に住むことはできなくても、亡くなってからもずっとファンが写真や言葉を愛し続けているのは、魂が震えて感動をするからなのです。

このようなことをしなくてはいけないという決まりは何一つありません。もし惹かれるものがありましたら、大自然には行けないかもしれませんが、星野道夫の写真や言葉に触れてみてください。

霊とは何か

霊とは何かを言葉によって説明することはできません。霊は無限なものですが、言葉というのはあくまで象徴でしかなく、有限だからです。

うまく説明をすることはできませんが、霊が無限である以上、霊性の生きるということは無限のパワーを与えてもらうことができるという意味です。せめて霊についての間違いをいうならば、私たちは幼い頃から「バチがあたる」というような言葉をどこかで聞いていますが、愛の存在である宇宙の大霊すなわち神が、怒って罰を与えるというようなことはありません。何か自分にとって悪いことが起こると、バチがあたったとか、自分の心の在り方が悪かったからと思いがちですが、そのようなことはありません。

霊・神とは法則であり、その背後で働く精神であり、森羅万象の無数の顕現を支える力です。それは生命そのものであり、生命を構成する根源的要素です。私たちの本質はミクロの神であり、人間がこうして地上に生を受けたのは、内に宿る神性を少しでも多くこの世に発現するためです。それはあらゆる種類の美徳や善行、親切、共感、思いやり、慈愛、寛容や無私や情愛です。それを発現する量を少しでも増やしていくのが永遠に終わることのない神性の道です。神性、つまり霊は無限だから、永遠なのです。

霊性にはどのような観念も信念も教義もありません。あたりまえですが、霊感商法などネガティブなイメージが浮かぶものとも異なります。呼吸を自然に在るものと合わせ、大地の呼吸と一体化してゆきながら、自らを神の意図がなされるよう光の管とするために、ひたむきに肉体・精神・霊魂をひとつに調和していくことです。

どんなに強い人間も、自然の前ではひとたまりもなく、思うにままならない現実には翻弄されるでしょう。自らが生かされ、育まれ、当たり前の瞬間などなく常に見守れていること、自らが懸命になって生き、それでも命を亡くすときには、真の霊性は大いなる宇宙の摂理に身をゆだねていることを可能にするでしょう。

同時に、人間である悲しさを生きることではないかとも思います。まだもっと生きたい、別れたくない……この地上への、命への限りない愛を思い切り体験して、そしてそれ以上に笑い、微笑むことです。なぜなら、あらゆる体験をするためにこの地球に私たちはやってきたのですから。

カリ・ユガの時代

インドのヴェーダの考えでは、現代はカリ・ユガの時代と呼ばれ、その最後の段階を私たちは生きています。カリ・ユガでは価値観が逆転し、自然・動物といった共生すべきものたちが乱用される物質主義が強い時代です。

教えでは、このような時代だからこそ霊的な進化、源につながる大きな可能性を秘めていると伝えています。確かに、2011年の冬至~2012年の冬至に地球はユニティ(統合)の時代にシフトし、現在も移行期にありますが、何事も変化のときは破壊が起こるもので、世界的にも戦争や自然災害など困難が頻出しています。

このようなことが起こるからこそ、私たちの中にある眼に見えないものへの目覚めのスイッチが押されるのです。テクノロジーの発達による滅亡はアトランティス文明でも起こりました。すばらしい文明を築いてなお滅びるのは、自然への畏れを失ったときに、人間は滅んでしまうからです。

見えるものから見えないものへ、現れたものから隠れたものへ、物質性から精神性へ……この意識の移行が神性を生きる旅のはじまりとなります。普段は見えないもの、隠れている側面がいかに私たちの本質と深くつながっているのかを教えてくれます。

多次元的な気づきは自然なもの

多次元の気づきは本来自然なものでした。地球に来る前、魂はその気づきを持っていたのですが、地球上で何度となく転生を繰り返し、肉体を持って多数の生涯を生き、物質の中に埋もれる生活をするようになったために多次元の気づきは遮断されてしまいました。バイブレーションが低くなってしまったからです。

多次元の気づきを失い、バイブレーションを下げたことは幾分、意図的なものでした。レムリア時代を含めた初期の生涯では、天使としてのエネルギーを肉体という現実にいれたいという強い欲求があったのですが、それは大変な困難を要しました。

レムリア時代には、肉体から簡単にエッセンスが滑り落ちてしまうということがよくありました。その結果、身体は死んでしまいました。天使の存在にとって、この惑星の厳しい現実に降りてくることは、とても困難だったのです。

懸命に身体にフォーカスし、身体を維持し、地球の不自然な密度と制限の中に参入する術を学びましたが、代わりに身体にとどまったまま、別の次元に意識を拡張していく方法を忘れてしまいました。

多次元の気づきがあれば、「いま」というこの瞬間が、あらゆる意識の可能性、次元、旅した宇宙、生まれ変わった星、地上での転生と家系、さらに多くの見えない存在からの影響も含め、実に広大で深遠な存在の開花の瞬間であるということがわかります。

どのような一日も、出来事も、一瞬も、かけがえのないもので、今ここにいる自分の尊さと力を感じます。同時に、自分ひとりでは存在しえず、あらゆるものの影響を受け、支えられて、今この瞬間があるのだと気づけるのです。

ひとりひとりの人生にはあらかじめ定められたパターンがあります。静かに振り返ってみれば、まるで何者かによってひとつの道に導かれているような気がしませんか?たとえ分からなくても、そこにはちゃんと神、創造主、根源の存在による計画ができています。

私たちに定められた成すべき事を地上で成就すべく、そのパターンは絶え間なく進行しています。天体の運行に狂いのないように、宇宙には偶然の巡りあわせとか、偶然の一致というものはありません。

今生きている次元の過去生、他の次元の過去生、今生の過去と未来、並行人生と並行宇宙、代替宇宙と代替現実、受胎前のことや受胎時、子宮内や誕生時、未来生、転生間、遺伝的プログラム、祖先、睡眠中の他の体験、創造の時点、さらに未成仏霊や地球外生命体、肉体で転生していない存在やエレメンタル、天使など目に見えない高次の存在……これらあらゆることが深淵に影響し合い、今というこの瞬間があります。なんて私という存在は広大なのでしょうか。

多次元に意識を拡張する自由を自分に与えてみてください。クリスタルの領域、天界の領域に旅立つことができるようになります。また、エーテル界に住む存在たちに出会ったり、妖精界を訪れることもできるでしょう。遥か彼方の星や星雲、知性を持った生物がいる次元にも意識を拡張することもできるのです。

次元って何?

次元とは場所のことではなく、意識の粒子のことをいいます。ですから、次元や空間は自分で創造しない限り存在しません。どんな特性の次元であっても、意識をフォーカスすれば、その意図を満たすべくエネルギーは奉仕します。愛と平和の意識があれば、愛と平和の次元をどこにでも創ることができるのです。

次元を創造したのが自分なら、それを消すこともできます。たった今、「安全な空間」を意識的に選択することで、新しい次元として安全な次元を創造することもできますし、なくすこともできるのです。同時にその新しい次元は他の領域とも結びついています。平和や思いやりの意識を選択していくことが、人生をより豊かにし、地球の危機も救うことを可能にするはずです。

デヴィッド・R・ホーキンズの『パワーかフォースか』には、人間の意識を0~1000でマップ化したユニークな図があります。この図によると、罪悪感や恐怖、欲望や怒りは低い意識レベルで、500以上の高いものは愛、喜び、平和、悟りとなっています。

500の愛は、外部の要因に依存することのない揺るぎない無条件の愛です。理性や頭から発せられるのではなく、ハートから愛は生まれます。この愛のレベルにおいて人は物事の本質を識別し、生けるもののありのままの表現のすばらしさに焦点を合わせポジティブさを増大します。

意識レベルが1000になると、「神の恩寵」という人間では最高のレベルに達します。クリシュナ、ブッダ、イエス・キリストといった偉大なマスターのレベルであり、すべが神の意識とつながっています。

誰もが高い次元とつながることができる

高い次元とつながることは誰もが可能なことです。無垢な赤ちゃんや子どもは高い次元の中で生きていますが、年を重ね、社会や文化、時代の影響を受けるにつれ低い次元に移行します。自分が何者なのかということに気づき、霊的になった時、波動は再び上昇し始めます。

次元や気づきは意識のこと。あなたが今、どのような状況だったとしても、とても生きていくのが苦しくあったとしても、意識はこの肉体も地球も超え、すべての星を超えていきます。

私たちひとりひとりにも、地球上すべてにも、たくさんの問題があります。紛争や軋轢、富の集中化、飢餓、病気、自分が正しいと思い他者を認めない在り方、その他あらゆる恐れや不安、共生と多様性を困難にしている要素……この世界で私たちが幸せにあるために、笑顔で生きていくためにできることは何でしょうか。

このようなことに関心のある方は、それぞれ想いがあり、その想いに基づいて行動をしています。思いは同じでも、表現が異なるところが可能性であり、人間のユニークさです。私は、霊的な道、祈りの道がそのうちのひとつだと思っています。

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