Roaming Sheep
故郷はもうないのだと知って泣く、天使の涙で船を出す

【西洋と東洋のスピリチュアリティ】心からの交流だけが、この世界を癒していく

ティク・ナット・ハン『イエスとブッダ』、ティム・ステッド『マインドフルネスとキリスト教の霊性』

ティク・ナット・ハン『イエスとブッダ』、ティム・ステッド『マインドフルネスとキリスト教の霊性』

 

 

この連休は、スピリチュアルの探求と心理占星術のイベントで忙しくしていました。

スピリチュアルの探求は毎回新しい発見があって、新しいことを知ると今まで見慣れていたものもまったく違った様子を見せたりします。当たり前の日常を奇跡のような出会いの連続に変えてしまいます。

スピリチュアリティを育むことは、内面を豊かにすることです。物質世界の捉われから抜け出して、私たちを本当の自由へと向かわせます。これからの時代はこういった歩みを築いていくことが大切です。それは決して目に見える現実よりも、目に見えないものが大切だと言っているのではありません。目の前の現実にこそ自分のすべてはあります。

だからこそ、現実的なことに現実だけで対応しようとすれば必ず行きづまることがわかった今ですから、この世界で生きていくためにも、これからは内面の豊かさや意識を拡大していくことが求められています。今後日本は、人口が増えることはありません。学者はそれを懸念しているかもしれませんが、決して不安な未来ではありません。人口が減っていくということは、今までの体験を生かして次のステージへ移るということだからです。

 

心理占星術のイベントは、そのような時代の変化をもとに「新しい働き方」を提案するものでした。私は実に久しぶりにリーディングを行いましたが、心を開いて相談をしてくださった参加者の皆さん、リーディングを担当した私たちを信頼して、それぞれが個性を生かし、持てるものを与える場をつくってくださった占星術家のnico先生に、感謝をしました。

「人間」が人の間と書く存在であるように、神が人はひとりだとよくないとアダムのあばら骨からエバをつくったように、どんなに人が苦手だとしても、ひとりでは決して自分にはなれないのが人間です。

賢明に自分や人、世界に向き合うということは生きることそのものに向きあうことです。そのような人の生き方や仕事からは、たくさんの学びがあります。真剣に生きることに向き合っている人に心を開いて交流したとき、その人は与える喜びが満たされ、受け取る側も豊かになります。批判や評価されないことの怖れに捉われず、内なるものをただ放出させる……その活動が自分の喜びだからこそ、承認や評価が得られなくても空しくはなりません。そこに自己犠牲はなにもなく、真の奉仕からは、自分ひとりでは八方塞がりに思えた暗闇に光がさすこともあります。

なぜなら、向き合うということは何より「愛する」ということだからです。向き合うのは怖い場合もありますよね。だから、本物の愛は臆病や遊び半分ではできません。真の強さと理解がそこにはあります。

 

偽善者のように、人に認めてもらうために祈り、慈善をおこなってはならない。
人に知られることなく奉仕すれば、神は報いてくれる。―イエス

神の理解はヒマラヤ山の上にある洞穴で始まるのではない。
それは台所の鍋の中で始まる。
どんなに取るに足らないことでも、すべての仕事に神を見て、神に奉仕するための機会とみなしなさい。
これこそが解放への確かな道である。―スワミ・シバナンダ

 

昨年末には、写真にも載せている『マインドフルネスとキリスト教の霊性』を読んだり、柳田敏洋神父と禅僧・山下良道師の『マインドフルネスを巡る仏教とキリスト教の対話』というイベントに参加をしてお話を聞く機会に恵まれました。

仏教もキリスト教も、それぞれが長い年月を経て育ててきた霊性についての伝統を持っていますが、お互いが歩み寄ることで可能性を広げ、きちんと機能する信仰と霊的な実践を生み出せるという段階にきているのだと思います。そこには近年発展を遂げてきた量子力学による洞察も含まれ、宗教も多面性と統合の時代を迎えているように思いました。

語られる方たちが明晰で受容的な心を持っていらっしゃるので、話されることは理解と可能性に満ちたものばかりです。これは、西洋と東洋のヒーリングを合わせて行う私にも大切なテーマとなっています。そして、このような試みが健全に発展していくためには、心からの交流と、自分の中での統合が必要なのだと思います。

 

 

西洋と東洋のスピリチュアリティ

霊性とは、人が神に対して、あるいは絶対的な神秘に対して、どのように関わっているかという意味です。そのような観点では、現代のスピリチュアリティという言葉は決して霊性とイコールではないのですが、今回は精神的、霊的な高みという意味で語らせてください。

西洋と東洋のスピリチュアリティの違いとして、傾向性にしかすぎませんが、このようなことが言えます。西洋のスピリチュアルは余計なものをそぎ落として自分を純化させ、神や宇宙の神秘に近づこうとして霊的な高みを目指すというものです。一方、東洋のスピリチュアルは、森羅万象はすべてつながりあっていて、その生きとし生けるもののつながりの中に神々の存在を見出していく、現実をコントロールするのではなく受容していくというスタンスです。

先に紹介した本や、対談の内容は傾向性よりももっと深いところで話をしているものですが、RINのヒーリングにはそれぞれ傾向性が反映されていると思われる部分があり、説明をしてみたいと思いました。

西洋のスピリチュアルは成長や発展をしていく原動力をもたらしてくれますが、「祓い」の要素が強く、純化しようとする衝動が働きすぎると綺麗でなくては気がすまなくなってしまいます。東洋のスピリチュアルはゆだね、受け入れていくという人間にとって最も大きな心の成長をもたらしてくれますが、「変えていこう」という意志の力が働きにくくもあります。

例えば、オーラクレンズやカルマクリアはどちらかというと西洋スピリチュアルの傾向が強く、西洋生まれのヒーリングであるディヴァイン・ヒーリング・マスターキーソウルプランメッセンジャー・オブ・ライトにもその特色は見られます。

一方、ティク・ナット・ハンの唱えるマインドフルネスは受容性やありのままを育てる力があり、両者を理解して行うことは、痛みや苦しみを受け入れ、変容させ、成長し変わっていこうとするスピリチュアリティを探究するプロセスのベースになっています。

ですが、どちらも造詣が深く、西洋のヒーリングも禅やヴェーダ哲学を学ばれた方が生み出していますし、ティク・ナット・ハンの造詣の深さ、明晰さは東洋とひとくくりにできるものでもないと思います。傾向性は感じますが、どちらも豊かなスピリチュアリティを宿しています。

ティク・ナット・ハンの『イエスとブッダ』に私の好きな言葉があります。心がさまよってしまいそうなとき、自分の本源からズレてしまうわないように改めたいとき、折に触れて読み返す言葉です。

 

神の国は時空のなかにはありません。神の御国に入るために、死ぬ必要はないのです。あなたはいま・ここで、すでに神の国にいるのです。ただあなたが気づかないだけなのです。

あらんかぎりあなたの神を愛するとはどういうことでしょうか。それはこうです。あなたの現実の向こうにあるもうひとつの次元、究極の次元、神の次元、水の次元に触れるために、日々、神を求めつづけることです。いのちの最奥の次元に戻ってそれに触れようとせず、この現象世界の生活にまみれてときをすごすのは、いかにも残念です。

 

 

 

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