本当の癒しとは?~KR女史のランドクリーニング(土地のクリーニング)に参加してきました~

本当の癒し、本当のスピリチュアリティー

 

写真は都営三田駅で撮ったものです。

春めく夜ですね。こんな夜は遊びに出かけていたら、それこそ箸が転げてもおかしいくらいに笑っていたのではないかと思います。獅子の水星とセクスタイルの天秤の金星&火星の面目躍如とばかりで、演技がかったことをしたり挑発したり。気取って苦悩するフリをしてみたり。

夜は暗いからいいですね。

朝には消えてしまうものがあります。夜の闇の向こうにうごめくなにかがあります。
移り気なお月様も・・・・・・

 

今日はハワイに伝わる伝統的な問題解決法「SITH ホ・オポノポノ」の創始者であるカマイリ・ラファエロヴィッチ(KR女史)さんによるランドクリーニング(土地のクリーニング)についてお話を聞いてきました。

それは、母なる大地、私たちが暮らし営むこの地球、人間のみならずあらゆる生きとしいけるものの、命のサイクルを支える土台であるこの地球そのものにもまさしく、私たちと同じようにアイデンティティーがあると考え、その土地の潜在意識が記憶している人間による痛々しい記憶をクリーニングしていくというものです。

占星術では惑星も生き物として見ますから、私たちが私たちの潜在意識を癒すように、土地の記憶も癒していくということが大切です。

 

占星術は、自分の人生を創造的にするために、自分の手に自分の人生を取り戻す力になってくれます。

ですが、では3ハウス活動した方がいいですね、牡羊座のようなことをした方がいいですね、とホロスコープを読んでわかっても、それを伝えられたクライアントさんはそのような行動がなかなかできないことも多いのです。

最初はできても、そのうち諦めてしまうこともあります。忙しいとか経済的な事情の場合もあります。自信がなくて最初から動けないこともあります。

何かを選んだり、何かをはじめたりするときに過去の失敗したり辛かったりした記憶がよみがえって来てしまうのですね。または成功したい、収入をあげたい、皆に好かれたい、人気が出たいなど「期待」をしてしまったりもします。

このようなときは、行動できなくても、まずは潜在意識にある記憶を癒す、期待を手放すということから行うことを勧めています。

 

いくつかのヒーリングを私も学びましたが、ヒプノセラピーでも瞑想心理学でも、アンドリュー・ワイル博士のヒーリング・コードでも、ティク・ナット・ハンさんのおっしゃることでも、この潜在意識にある怖れや痛みを癒すということは同じく言っていました。

生きにくいと感じることもある現代社会で、ヒーリングが必要だと思っている方は自分に合うものを見つけてくださいね。

私が今日お話しを伺ってきたホ・オポノポノは「クリーニング(浄化)と解放と変容によって、真のアイデンティティーを見出す方法」です。これはかなり一言でまとめたものです。

 

 

私はもともとバリバリの科学畑の人間でした。

それでも科学者の中には造詣を深めた人が言うことは大変スピリチュアルであることもわかっていましたし、波動、つまりエネルギーというのは量子物理学の世界の概念でもあり、そんなに特別なものでもありません。本当は科学もスピリチュアルも分け隔てるようなものではないのです。

 

スピリチュアルやヒーリングと言うと、どこか拒否反応がある方に占星術を学びはじめて時おり出会うようになりました。

フワフワしていたり、科学的な根拠もないのに新月に祈ったり、そして何も努力をしていなさそうに見えたりして、そういうところが嫌だと感じているように見受けられました。

具体的にどのような人を指しているのか私も聞いていないので、ハッキリと言いきれるものでもないのですが、本当の癒しやスピリチュアルはフワフワとしているわけではないと思います。

むしろ、日々の一瞬一瞬を深く見つめ、一歩一歩を誠実に真摯に歩み、真剣に自分を見つめることを行います。

ヒーリングやお祈りをしたからといって、何もしないというわけではありません。

私も、つねに気づきをもって生きるなんて、決してできていません。

だから、ティク・ナット・ハンさんは好きですが、マインドフルネスに生きましょう、なんてとても言えないのです。だって自分もできていません。

難しいと思います。ただそうありたいという気もちは大切にしたいのですが・・・・・・。

 

この癒しの時代に、自分自身を見つめましょう、本当の気持ちを知りましょう、とはどこでも目にする言葉です。

私は、それだってこの忙しくストレスフルな毎日で行うのは、そう簡単ではないと思います。

自分を深く見つめるというのは、それこそ自分の底の底までたったひとりぼっちで降りて行って、しかもその底にあるものを言葉にするのなら、証拠に石をひとつ持って帰ってくるような、とても孤独な行いです。

決して、フワフワはしていないのです。

 

私たちの心が参ってしまうとき、占星術では一番弱い天体である月が傷ついてしまったときだと思うのですが、人は生きていく上で難しい現実をどうやって受け入れるか直面すると、それをありのままでの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶していきます。

これはとても月的なアクションです。

例えば、もう大好きでゾッコンだった清純そうな彼女が実は裏で二股かけてたことを知って、彼女は悪い奴にそそのかされたに違いないと考えたり、あるいは世界中の女は性悪と決めつけてしまったり(ひどい例えですね)、あまりにも人生が辛いときに過去生のせいだと言われて、現実は何も変わっていないのに自分のせいではなかったと変に安心してしまったり。(仮に過去生の影響だとしても、今この瞬間を生きる責任は私たち自身にあると思います)

そのように弱々しい月ですから、自分を楽に気持ちよくさせてくれるものに依存したって、無理はありません。

表向きフワフワして見えても、その人の辛さはその人だけのもの。もしかしたら本当に苦しい体験をしたのかもしれませんし、そんなに頑張らなくても、今自分が楽しい、安心する気持ちになれることをするのは、むしろ大切なことだと思います。それが絆創膏的な応急処置ではなく、ゆっくりとした本当の癒しへとつながれば何よりです。

 

ですが、そもそも本当の癒しとはなんでしょうか?

水のように深い理解と癒しで感情レベルで癒されることでしょうか?

それとも火のようなエネルギーに焼かれるがごとき浄化の体験でしょうか?

『12モンキーズ』のラストみたいに、未来に夢は何もないけれど、恋が待っているから生きてみるか、というある種の諦念でしょうか?

 

私は本をすべて読んではいないのですが、以前知った一節が印象的だったので、鷲田精一さんの『〈弱さ〉のちから』をここに紹介したいと思います。

「“癒し”とよく言うが、それはたぶん、自分を優しく慈しんでくれるもの、自分を大きく包みこんでくれるもの、自分を深く鎮めてくれるものにふれることではない。いのちは、たぶん、そんなに聞き分けのいいものではない。癒す/癒される関係がひとの間に本当に起こりうるとしても、人間がその癒すものの位置に無傷で立てるとは思われない。相手を抉ることがなければ、自分を食い破ることがなければ。」

 

相手を抉ることがなければ、自分を食い破ることがなければ。

いかがでしょうか?

私は戸川純さんの『赤い戦車』を聴いて、その「傷を染める清冽な赤、凝視するほど傷は癒える」という言葉に深く癒された日のことを思い出しました。

癒しの過程とは決して楽ではないかもしれません。

ときに想いを伝える言葉が喉を通って裂けて血が吹き出そうなときもあるかもしれません。

だけど、生きるってそういうことだと思います。

ツルツルピカピカした人生なんて、ありえないし、きっとつまらないですよね。

 

それでは、今日もありがとうございました!

またね。

 

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