月とノスタルジア~出会ったときから君に想っていた~

林静一 怨霊血染めの十字架
『怨霊血染めの十字架』1970年 発見の会
デザイン林静一

 

帰り道、空を見上げたら美しい月。

もうほぼ半月に近い上弦の月。美しい姿を弓に張った弦になぞらえて、弦月(げんげつ)や弓張月とも言う。半月はまた、「月の船」とも。

梅雨になれば、どうしても星の姿を見る夜は少なくなる。最近は曇りの夜空が多かったから、あまりに美しい月と星、ただ美しいというだけで「ありがとう」と言いたくなる。

 

YAPOOSの『宇宙士官候補生』という曲の、♪二度と帰らないかもしれなけど、星をひとつ持って帰ろう君に・・・・・・というフレーズを思い出していた。

 

月は古代から神秘の対象だった。

生と死を意味し、豊穣の女神である一方、月はあの世でもあった。月は人の命を与えもすれば、奪いもするものであった。月は母も意味する。命の生まれるところ、子宮。あの世あるいはこの世とどうつながっているのだろう?中沢新一は、人間が月を意識したことが宗教と哲学のはじまりだと言っている。

 

 

月は常に同じ面を地球に向けているので、裏側を見ることはできないが、それは自転と公転が同じ周期になっているためだ。この現象は惑星の重力が衛星の自転にブレーキをかける「潮汐力」によるもので、月だけでなく、太陽系内の衛星にはよく見られる現象だ。ちなみに裏側を初めて観測したのは1959年にソ連が打ち上げた「ルナ3号」。さらに隕石は毎日どこかしらに落ちているのだけど、地球の表側と裏側では石の成分が異なるらしい。去年、科学未来館で月の石の解説を聞いたけれど、月の石はNASAが所有していたりして、借りるとなるとお金もかかるしなかなか見れない。皆んさんも見れる機会があったら、ぜひ。

 

 

月には何が住んでいるのだろう?

日本では兎が住んで餅をついている。この月の兎はインドの仏教説話に起源を求める説があり、あるときインドラ神が老人に身をやつして森にやってきた、獣たちは獲物や果実で老人をもてなすが、兎は何も差し出せなかったので火中に身を投じて供した。そしてこの行いを嘉(よみ)せられた神は兎を月に住まわせたというものだ。

 

他方、中国では戦国時代のころから、仙女の嫦娥が不死の薬を盗んで月に逃げ、罰として月の精である蝦蟇(がま)になったという伝承がある。蝦蟇の古称の顧菟(こと)の「菟」を「兎」と誤読した説がある。蝦蟇から兎が出てきて、そして兎は月で不老長寿の薬をついているのだ。それが日本や韓国では餅になっている。

 

ほかにも様々な生き物が月には住んでいるようで、ロシアでは兄弟殺しのカインとアベル、太鼓を叩くシャーマン、インドネシアでは機織女、ポリネシアではタパという樹皮を叩いて布をこしらえる月の女神ヒナが住んでいる。

 

ドイツでは糸をつむぐ娘、キャベツ泥棒、フランスでは安息日である日曜日に働いた男が薪を背負っている姿、イタリアでは茨の刺に苦しめられている泥棒など、実に多彩。

 

目立つのは、不行跡の咎めとして月で労働し続けるという話。兎には何の過失があったのか?餅をつき続けて、大変な労働である。

 

 

・・・・・・それにしても、人は人間であるというだけで、それ自体が罪なのかもしれない。こんなに星を傷つけて、他の生き物の命を食らって、なんのてらいもなく捨てて、貪欲に欲しがり、欲に倦めば「断捨離」などと言う。

罪といえば、そうなのだろう。だからといって罰はなしだと、私は思う。社会は秩序や規則の網で縛らなければやっていけないとして、そうして構築してきたけれど、人間はどうしてもその網目からポロリとこぼれ落ちてしまう。

こぼれ落ちた先に、自分を照らしているのはきっと月の光なのだろう。

 

 

♪その意味で 夜はやさしいよなー
ここ何年昨日までの君みたいに

迫られる絶望に急すぎて実感がわかない

提示された現実に急すぎて実感がわかない

(YAPOOS『急告』)

 

 

自分がどうしようもなくみじめで情けなくて
絶望と喪失の、そんなときに月の光はやさしい。

こんな自分を太陽みたいに照らし出したりはしない。

 

 

月とは何だろう?月の光とは何だろう?

しょうもなくも続いた恋愛が悲しい終わりを遂げた夜に、地元の駅について歩く夜道、見上げると月があった。虚しさと諦念と、増幅した感情でいっぱいの頃は、ただ恋愛の名においてその暴虐の仕打ちさえ甘んじて許すしかなく、空を見上げることすらなかった。空に月があることさえ忘れていた。

どこか懐かしい匂いのする人だった。私と同じ、何にもハマれず熱狂せず、寄る辺ない根無し草みたいな人だった。その懐かしさを私は慕わしいと思った。

詩人の北原白秋は、彼の世界においてまず第一は詩であり、親しい友人の訃報が届いても素敵な詩を思い浮かべば、それができあがってから悠々と葬式に出向き、富士の樹海で首を吊った青年の死体を見ては、この若さで死ななくてはならなかったことなど露にも気にせず、ただ「美しい」と言う。人情虐殺。萩原朔太郎はそんな白秋を見て、その詩人の冷血が自分にも流れていることを知り、白秋のことを「たまらなく懐かしい人」だと言った。

 

懐かしい、とは郷愁を誘うと意味ではなく、「慕わしい」という意味においての・・・・・・ノスタルジア。

 

月に思うことは、慕わしいというノスタルジアなのではないか、むしろノスタルジアの本来の意味は慕わしいという意味ではないかと。

辺りは静かで、月の光は一面を濡らしている。まるで最初から何事も起こらなかったみたいに。

 

出会ったときは何に想うかしれないノスタルジアを感じていた。きっと君に想っていた。出会ったときから想っていた。

 

 

もう夏が近く、夜は涼しいとはいえ温む夜の大気を予感させる季節。

夜は相手の輪郭をぼやかせる分、感情やムードといったものを伝える。プライベートな夜の時間をともに過ごすなら好ましく思っている相手がいいと思うのは大抵の人にとってだろう。仕事じゃないのだから。プライベートという言葉はエロティックだ。

夜は海にも似ている。本当です、塾帰りの子どもたちが自転車に乗ってスイスイと走っていくのを見ると、魚が泳いでいるようなので見てみてほしい。

液体を共有するのが夜だから。そういったことは慕わしい人としたいでしょう(同性・異性関わらず)。

 

 

月に住まう我々の分身たちは、その不行跡ゆえだとして、人の不行跡が悲しくも可笑しく、愛おしいものだと感じる方のために、島田雅彦さんの『悲しみの半分、毒』という詩を紹介して終わりにしたいと思う。

 

 

 

悲しみの半分、毒

島田雅彦

 

愛する人の亡骸(なきがら)が焼かれる時、
棺の周りで取り乱す人も一時間後には
・・・この骨はどこの骨ですか?
と聞く余裕を取り戻す。
自分が思っているより心の容量は大きい。
悲しみの半分は
今ある日常が変わることの憂鬱。
あす早起きしなければならない辛さ。
あらためて相手や仕事を
探さなければならない面倒。

らない面倒.

君も私も毒なしにはいられない身だ。
記憶を曖昧にしたり、めまいを覚えたり
理性をなくしたり、早死にを促したり、
しかも、一回限りでは済まないものばかり
好んで体に取り込むところをみると、
木から落ちたりんごのように
発酵や腐敗を急ぐ理由があるのだろう。
毒を食っても食わなくても
行き着く先はみな同じ黄泉(よみ)の国。
そこには貧富の差はなく、万人が平等で
全ての自由が認められているがゆえ退屈で
先にそこに着いたものは後悔するらしい。
/

 

 

 

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2017-06-03 | Posted in 日々のこと, 星のひとことNo Comments » 

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