あなたもう飛べないよ・・・・・・サザンとユーミンから、失われし恋と永遠の少年少女

榎本ナリコ『本能の少女』

榎本ナリコ『本能の少女』

 

 

やることやって、最後にいただきものの塩漬けオリーブを摘みながら先輩とコニャックを飲みつつ、なんとなく音楽を聴いていた。

向こうの年齢に合わせてサザンやユーミン。

 

 

もういい加減ホロ酔いになってくると『シュラバ★ラ★バンバ』みたいに狙って作ったエロティックな歌を聴いても「恋人は美味なる多面体?うまい!」とか言ったり、『ミス・ブランニュー・デイ』を聴いては「誰のため本当の君を捨てるのCrazy・・・しなやかさと軽さをはき違えてる」のところでベタっとするけどグッと来る!とか、『いとしのエリー』や『涙のキッス』を聴けば切なくなり、と気楽に盛り上がり出す。

 

桑田佳祐の歌は失った恋の思い出を歌ったものが多い気がするけれど(リアルタイムの曲が少ないからしっかり聴いていない)、「我はカモメ 恋に鳴く」みたいに、カモメという半分自由でありながら、でも寄るべき港、つまり女性も持っているという、男性心理みたいなのを歌うのがうまくて、しかもそれを聴いている女性もうっとりさせるのだから、やっぱり上手なんだろうなぁと思う。

 

しかし夏が死ぬほど好きな私としては「波音は情事のゴズペル あの夏よいづこへ」みたいな、夏をあきらめて、そして夏は来ぬ的なものには胸を痛めつつ憧憬という懐かしさや切なさを感じずにはいられないのです。

 

 

 

何に対する憧憬?

 

私の失われた夏に。

二度とは還らぬ夏休みに。

もう手を伸ばしても届かない少年少女に。

 

 

 

 

 

そのあと聴いていたユーミンの『青春のリグレット』。

 

夏のバカンスを胸に秘め
普通に結婚してゆくの
私を許さないで 憎んでも覚えてて
今でもあなただけが 青春のリグレット

 

うわぁ

これは相当切ないなぁ

 

結婚したことないけれど、「金襴緞子の帯しめながら 花嫁御寮はなぜ泣くのだろう」っていうこの歌詞に何故だか胸が痛む思いをする人なら私と同じ切なさを感じるのではないかと思う。

 

何故、花嫁は泣いたろう?もう少女の頃に戻れないから?なんとはないものに笑い、ひどく傷つきやすく、自意識過剰で、世界と自分との境界性が曖昧だった頃には、もう戻れない。結婚すれば「生活」という「現実」が待っているのだから。もう、結婚したら・・・・・・少女は飛べない。

 

夏のバカンスは経験することなく・・・・・・つまりそれは日常からスルリとすべり落ち心密かに好きな人とどこかへ疾走するような恋の・・・・・・それは胸に秘めたまま、普通に結婚してゆくの。そして「今では痛みだけが真心のシルエット」。

 

 

 

 

だが、いくら胸が痛んでももう飛べやしないのだ。

「いつまでも少年少女のままで」なんていうのは恐ろしくグロテスクなことだと冷静に判断できるくらいの大人にはもうとっくの昔なっており、自分と他人を管理し、適度な成果をあげ、安泰とゆるやかな発展を目指す大人の意見にもっともらしくうなずく・・・・・・つまり小賢しく立ち回れるくらいに、私は老いたのだ。

 

グロテスクだとしても憧れるのはそれがもう手を伸ばしても届かないからで、仮に私が空を飛べたとしても決して月には届かないように、届きもしない光を思ってみてもなんになるのかと思いつつ、そこには変わらない何かを抱きしめるようにあの日の自分を忘れられないでいる。

 

それでも、もう青空を蹴ってただひたすらに駆けていくことはできない。「うん、すぐ行く。走っていく」と『時をかける少女』の真琴みたいにはなかなかなれないし、なる機会もない。たぶん・・・・・・

 

 

 

ビルの屋上に立てばフェンス越しに地上から絶望的に高い。

ここから飛び降りたら空を飛べるか?落ちゆく間に空を踏む感覚をもう一度思い出せるか?

 

 

「だめよ  あなたとべないでしょう」

 

 

・・・・・・そうだ、私はもうずいぶん人間じみてしまって空の高さが恐いのだ。恐ろしいから空に憧れているのか?・・・・・・膝が震える。子どもの頃はこれくらいの高さをどうとも思わなかったかもしれない。こんなフェンスぐらい、いつでも乗り越えられると数年前までは思っていたかもしれない・・・・・・でも、今は恐い。落ちても、きっと無様に地面に叩きつけられて死ぬだけだろう。

 

 

二度とは還らぬ夏休み

 

 

 

 

 

榎本ナリコさんの『センチメントの季節』という漫画に「永遠の少年」というお話がある。

ヒロインはサッカーが大好きな中学生の少女で、ボーイッシュで運動神経もよく男の子さながらの才能がある。だが成長するにつれ彼女は胸が出てきてプレーがしにくくなり、また圧倒的な男子との運動能力の差を知ったり、高校には女子がサッカーをできるところが少ないこともあって悩み・・・・・・またコーチも足の怪我のためにサッカーができなくなってしまった青年で、このふたりはセクシャルな関係なのですが、そこには愛でも恋でもなく「失われていく何か」「失われた何か」を共有した関係が描かれているのです。

ラストでは少女は「サッカー部のある高校を探す」と言って、そしてグランドを走っていく彼女の背中を「俺の代わりにどこまでも走っていけ」と見送るコーチの眼差しで終わるという・・・・・・私は大好きなお話なんですけど、作者である榎本さんも言っていますが、よくスポーツものの少年漫画でヒロインが小さな頃はみんなとスポーツしていたのに、成長するにつれ一緒にできなくなって、大抵は部のマネージャーとか主人公の恋人に収まるわけで、そこには切なさもあるけれど疑問もあるわけです。

 

なんで女の子は「私もできる学校を探す」という選択肢がないのか。男性にとっては恋人とかのポストに収まってくれた方がありがたいのかしら?

 

それはともかく「失われたもの」「失われゆくもの」を短いある時期、それは人生の夏休みと言ってもいい時期に共有するふたりのお話に感動していました。

 

 

 

 

 

9日に火星は蠍座に入りました。

 

蠍の火星にしろ冥王星にしろ、魚の海王星にしろすべて月のためにやる。月を守るために。月のノスタルジアのために。

寂しさを感じるのはいいことだね・・・・・・それは自分を丸ごと感じることだから。

 

そのノスタルジアを拐い、痛む胸を抱きしめるように、いまだにこんな共感されにくいものを携えて、まるでこの世界で異邦人みたいね。

 

 

 

稲垣足穂でも読むかぁ・・・・・・

 

 

 

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2017-12-10 | Posted in 日々のこと, 本・音楽・映画No Comments » 

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