言葉が剥がれなくて……私、死んでいたのかもしれない~孤独と独善の夜、魂の耳をすます~

 

岩田典子さんの音楽

 

 

孤独と独善の力で、あたしが夜にする

昨夜からの発熱で今日はほとんど臥してすごしている。

 

予定がふたつあったけれど、それは行けなくなってしまった。楽しみにしていた研究会もあったのに。

 

昔はこういうことがもっと頻繁にあって、そのたびに「こんな身体じゃなけばもっといろいろできたのに」「どうしてこんな病気になったのだろう」「この病気がなかったら、どれほど私の未来は広がっていただろう」そう思っていた。

 

自分がどんな病気に罹り、どんな身体で生きていくかはこの世に誕生する前から決めているとわかったのでずいぶん楽になったのだけれど、今でも少し悲しくなるときはある。

 

 

今日はノウイングスクールのコースを一緒に学んだ岩田典子さんが、ともに歩んだ感謝をこめて私に贈ってくれた彼女の音を聴いている。

 

もとより、私の音楽や本、写真からすべてにおいて、好きになるものは個人的すぎる愛着をもっているものばかりだ。平和や愛などそこには関係なく、ただ自分の直観にしたがっている。音は匂いのように漂うものが好きだ。音楽はまだバリエーションがある。

 

私は夜に聴く音楽を大切にしたいと思っている。これを書いている今は夕方にさしかかったところだが、熱に浮かされた今なら孤独と独善の力で私は私の世界を夜にすることだってできる。

 

だから、彼女の音楽を夜、聴いている。

 

私は静かに沈降し、魂の耳をすます……

 

 

 

 

理性への挑戦

 

岩田典子 蓮の夢

 

  1. 神の華
  2. 蓮の夢
  3. なゆた 屋久島にて
  4. 赤とんぼの幻影 ~過ぎ去りし夏の記憶~
  5. 匂ふ白蓮
  6. 夢の中で
  7. みろく
  8. ㇵヂケル金平糖
  9. 内に思ふ
  10. はしゃぐ子どもたち
  11. 不器用な愛
  12. ただよふ睡蓮

 

 

一曲目の「神の華」という曲で、私ははじめて三昧琴(ざんまいきん)という楽器の音を聴いた。

 

冷たく、透き通った金属的な響きにやわらかい産毛が生えているような不思議な音の連なりだった。私は楽器に詳しくないから、個人的な感想だと思って読んでほしい。

 

打楽器と言ってよいのだろうか?私は叩いて音を出す楽器をプリミティブなものだと思っている。だからこそ一瞬にして人の心をさらい、肉のリズムとなって、聴いたものを酔わす。

 

言葉を書く時の、私の中にある沈黙さえも引き込んでいく。

 

二曲目へ変わるときに、音と音の間にある小さい音がかわいらしく、典子さんはどんな音もおろそかにしない人なのだと感じた。

 

私はこの二曲目への移行がとても好き。微睡ながら、私がいつも還りたいと思っていた時間も空間もないところへ、「時の最果て」と呼んでいるあの場所へと導かれていく。

 

現実と対比をすれば、それは厳しい幸福と言ってもよく、その夢がずっと続くことはないとわかっていても袖を振り払えるものではない。

 

典子さん、ノウイングスクールの講師であるかのみさんと過ごした3カ月を「時の最果て」のようだったと評したのだが、実はこの言葉は私が小学生の頃に遊んだコンピューターゲームに由来している。

 

あんな幼い頃に、ゲームに出てきた言葉と場所は一生消えない刻印を私の心に刻んでいたかのかと思われて、最後のお別れの日に子守歌でも贈られたような気もちになった。

 

子どもの頃の未分化な魂を、典子さんの音を聴くと思い出す。

 

典子さんは恋愛も家族と歩む人生も経験していて、いわゆるスピリチュアルな人にありがちな達観した感じや、いつも人前で笑顔と余裕しか見せないあの感じがない。

 

私より典子さんの方が大人だけれど、正直で純粋で、無邪気な子どもみたいなところがあって、大きな人だと思った。

 

彼女はエジプトに行ってピラミッドをつまんだりする。生きていると思い通りにならないことは多いけれど、彼女の精神は空高く翔けることができるのだ。

 

私にはないそういう部分を、いつも叶わない思いで見ていた。私は、語ることでしか前に進めない。音楽は言葉を超える……そう典子さんは言う。そして私から言葉が剥がれない。私は死んでいたのかもしれない。

 

音が波打ちぎわに漂ようのを聴きながら、死んでいるのでもいいから、まだ目覚めたくはなかった。

 

無邪気な典子さんは思うさま叩いて音で遊ぶ。キラキラ音がハヂケテいて、この楽しさがわかるぐらいには私は分別くさくはなっていなかったのだと安心した。たくさんの時代を生きた過去と未来の映像が、走っていく。

 

臆面もなく彼女が音を生じさせるのは、世界の静けさを信じているからだろう。たてられる音は世界が在るという証明に他ならない。そんなことを振りかえる必要もないほどに、無垢に生み出せるのは彼女がアーティストだから?

 

怒り、悲しみ、心配や嫉妬。私たちと同じひとりの人間としてネガティブな感情を典子さんも経験している。こういう音楽をつくれるのは音楽以外のことをたくさんしていないと無理だと思う。

 

痛みや苦しみを経験しても音楽がそこに染まり切らず、本質では美と慰めと歓びに結び付いていくところが、音という魂が持つ豊かさと深さになっている。

 

 

「音楽は理性への挑戦」という一面を含んでいることを昔知ったが、それは真実なのだろう。

 

 

 

 

過ぎし我が夏、弔いて咲け

蓮の夢

 

「過ぎ去りし夏の記憶」という副題のついた曲がある。夏が死ぬほど好きな私には、過ぎし夏というのは切なさと懐かしさを伴うものだ。

典子さんがいう夏とはいつの夏だろう?

わからないけれど、もし私と同じように夏を慕わしく思っているというのならば、その夏とは人生における、二度とは帰らぬ夏休みなのだ。

夏への扉、夏をあきらめて……誰にでもある人生における、あの夏の……

 

 

 

まだ、媚びることも妥協することもなかった夏。眼差しの不実さも、失うもののない子どもの気高さも。

 

あの美貌の青空を切なく胸を痛めながら、もう手が届かないからこそ憧れている。そこには永遠がある。

 

あるいは古い童謡のように「夏は来ぬ」と謡っても。忍音もらす、夏は来ぬ。五月やみ、蛍飛びかい……夏は来ぬ。

 

 

 

典子さん、3か月間、楽しかったね。

 

3人で歩んだ日々を夏休みのように懐かしく思うよ。

 

子どもの頃、夏休みが終わらなければいいのにって思ったけれど、そう思うのは間違えじゃなかったんだね。

 

お手紙とCD、どうもありがとう。

 

達筆でびっくりしたよ。私の字、見ちゃダメだよ。

 

 

自分を知るのは、ときに苦しくて痛くて、長い道のりだったけど、一緒にいてくれて嬉しかった。本当に人生の宝物だね。

 

 

これからも、思いのまま、自由に音を空に放ってください。

 

いつも応援しています。

 

 

 

アルバムの写真はつうりさんが撮ったんだね。典子さんの見つめる眼差しが柔らかくて、優しい、素敵な写真だと思いました。

 

 

またね。

 

 

蓮の夢 アルバム裏の岩田典子さんちなみにアルバムは典子さんの閃きで作成され
まだ押入れに眠っているそうだよ

 

 

 

感謝をこめて
いつか

 

 

 

 

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イツカ

イツカ

名前:イツカ  ヒーラー、心理占星術家、神秘家。禅僧ティク・ナット・ハンや神秘主義的教えをベースにセッションやワークショップを開催。多次元的なヒーリングと、内的な葛藤、過去世の問題、幼少期のプログラミング、転生間の魂レベルの課題など、多くの側面からアプローチをし、自らの内なる力を発揮できるようサポート。最先端の医療や食の事情を発信、美容、瞑想、呼吸法など魂と肉体の意識を統合し、日常とひとりひとりの内的な調和、自身と他者を生かす在り方が地球との共存可能な世界を導くというビジョンのもと、日々の歩みとともに実践している。
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2019-04-15 | Posted in 日々のこと, 本・音楽・映画No Comments » 

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