「完全に癒されるなんて、つまらないことだ」~癒されずに、泣くこと~

渋谷の歩道橋にて

こんにちは。

一週間ちょっとブログを書かない間に、すっかり夏になりましたね。モコモコの入道雲がソフトクリームみたいでおいしそうだ。うちにはテレビがなく、ネットもあまり見ないので、いつの間にか知らない間に梅雨明け宣言してそう・・・・・・

先日は、夏物のワンピースを出してきて、お出かけをしました。もっと暑くなったら、ぐっと影が濃くなって少し歩いただけで顎を汗が滴ってくるんだろうな。

なかなかブログが書けなかった理由のひとつは、蟹座の季節は第4ハウス活動をしようと決めて、まずは自分の部屋を『私だけの聖域(サンクチュアリ)』にすべく、大改造を行っていたからです。一時は部屋に本が溢れかえって布団も敷けなかったのですが、それらの本も収まるところに収まり、だいぶ片付いてきました。

本棚

おかげで8畳の部屋が広く感じます。本たちも居心地がよくなって喜んでいるかな?
そんな気がする(*^^*)

ティク・ナット・ハンさんの『今このとき、すばらしいこのとき』という本に、部屋の掃除のガーターが載っています。ガーターとは偈頌(げじゅ)と言い、日常生活で唱えることで、今この瞬間に戻り、マインドフルネス(気づきの心)を保てるよう助けてくれる短詩です。

部屋の掃除

静けさと清々しさに満ちた
部屋を浄めれば
喜びと生きる力が湧いてくる

爽やかで静まった雰囲気の中に身を置けば、何もかもが今ここに帰るための気づきにつながり、安らぎと喜びに満たされ、くつろぎながら作業をすれば、元気が湧いてきて、どんな行動でも、この安らぎと喜びで満たすことができるのです・・・・・・と、説明にあります。

皆さんも、お掃除をするときに、静かな安らいだ心で行ってみてくださいね。

7月20日には火星が、23日には太陽は獅子座に移ります。エネルギーを内側に向け、自分の感情を大切に扱い、いつでも帰属できる場所を作り、自分の中に自分の求める感受性を築く蟹座の季節から一転、「魅せる」季節へと変わるのです。自分の基盤をしっかりとしていなければ、堂々とオープンに自分を楽しむこともできません。

蟹座の終わりまであと少し、自分を大切にすることを学びましょう。自分自身の中の子どもが泣いていたら、愛情をたっぷりと注ぎ、抱擁し、今まで放って置いたり無視してきたりしたことを謝りましょう。

蟹座の部屋である第4ハウスは、感情的なサポートが得られるような安心・安全な場所。心の拠り所です。ここで私たちは疲れを癒し、エネルギーを充填し、そうしてまた社会へと戻っていくのです。

同時に蟹座は支配星が月であることから、記憶を象徴し、過去を大切にしたい欲求があります。愛され、受け入れられた記憶をもとに心のホームベースを作っていくことが、「私の聖域作り」、第4ハウス活動でもあったのです。

ところで、私は南西の強い強調、幼いころから周囲の大人の事情に振り回されがちで、個人としても意識が外へ外へ、他人へと向かいすぎてしまう人は健全なエゴが発達しずらく、ひとつ前に記事にも書いたように、安心・安全な記憶というものが私の中で再生されづらかったので、この第4ハウス活動をしながら、虚しくなったり疲れてしまったりしたのですが、これもいい経験でした。

私はセラピストでもありますから、自分や人を癒すことはとても大切な活動の一環でもあるのですが、この癒しが絶賛される風潮において、それでも私は「完全に癒されるなんて、つまらないことだ」と言いたいのです。もし、私が完全に癒されてしまったら、きっともう物語も読まないし、詩情を求めることもないし、誰かと会うことに感動することも、なくなるのだと思います。

瞳や唇は生物用語ではクレパス・・・裂け目、であり、私たちが生まれながらにもった傷なのですが、その傷を抱え、また成長していく中で傷ついたり傷つけたりしながら、生きていきます。それがあまりに苦しいと、誰かや世の中に責任を押し付けたり、心を麻痺させて閉じこもったり、他の刺激で穴埋めしたり、自分はもっと大きな存在だとスピリチュアルにハマったりするのですが・・・・・・つまり、第4ハウス的な世界に引きこもって、現実に帰還しなくなってしまうということです。

うん、たしかに何かしてないと苦しくてたまらないという気持ちはわかる。失恋の痛みとか、どう時間が消すのだろう?幼いころの傷は?

もし何らかのもので癒され、現実に復帰したなら、おめでとう。だけどなかなかうまくいかない。私はもう万策尽きたけれど、みんなはどうだろう?

せめて、癒されずに泣くこと。

私たちは100%理解し合うことは絶対にできない。理解し合えないからこそ、私とあなたとはまったく違う存在だとわかって、ゆえに違っても認めあうことはできるけど、それは山羊座的な大人の視点であって、心の中の月はシクシクいうわけです。こういう月が、水が強い人はあまり月にフォーカスすると沈んだままになってしまうので、何でもかんでも月を満たせばいいというわけではありませんね。

一度沈んで、そこから現実へ帰還する道は、私にはわからない。誰もが自分で手探りで探す道だからです。そして、完全なる治癒も求めません。

完全に癒されずに、泣くこと・・・・・・命は生ものだもの。現実は私たちを失望させるけど、だからこそ歓びもある。

癒されえないことを受諾して、そうして私たちはときにひとりぼっちになり、ときに誰かと出会って、鼻歌でも歌ったりしながら、歩いていく。

有名な絵本にシェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』というのがあります。

「ぼく」はパックマンのように一部が口みたいに欠けた球体です。「ぼく」は何かが足りないから、それで楽しくないことを知っている。だから足りないカケラを探しに旅に出ます。いびつに転がりながら、たくさんのカケラと出会うけれど、どれも大きすぎたり小さすぎたり、「ぼく」にピッタリなカケラはありません。

ようやくピッタリなカケラを見つけたけれど、「ぼく」は最初のカケラに拒まれたせいか、「きみは きみのままでいたいのかもしれないね」「でもぼくのものにはなりたくないのかもしれないね」と消極的なのですが、そのカケラは「誰かのものになったって あたしはあたしよ」と、一緒になることを受け入れます。

こうして、完全な球体になった「ぼく」は、大喜びで遠くに早くに転がっていきますが、あまりに調子よく転がるので、もう思いもかけないところにいって寄り道をしたり、ミミズと立ち話をしたり、蝶々が止まってくれることもなくなってしまいました。歌おうとしても、カケラが口にハマって、もう歌も歌えませんでした。

「そうか そういうことだったのか」

「ぼく」は気づきます。

止まって、カケラをそっと降ろし、ひとりで転がっていくのです。歌でも歌いながら。

「なにかが足りない それでぼくは楽しくない 足りないカケラを探している

ラッタッタ さあ行くぞ 足りないカケラを探しにね」

そうして歌う「ぼく」に蝶々は止まり、そして再び飛び去っていく。

「ぼく」もゆっくりと転がっていく。

読みに来て下さり、どうもありがとうございます。

落ち着いたら、もう少し書くようにしたいです。

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2017-07-12 | Posted in 占星術, 日々のことNo Comments » 

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