あなたに届こうとする薔薇、薔薇に届こうとするあなた~トリートメントによる分かち合いの時間~

赤い薔薇

 

 

この間のブログ記事で蠍座に木星がある今、11月30日に冥王星がハーフリターンを迎え、12月には火星が蠍座に入り、土星も山羊座に入ることから官僚の汚職とかたくさん出てくると書いたのですが、蠍座と冥王星はようするに「力」なんです。だからマジョリティとマイノリティに関する問題も出てくると思うのですが、そもそもマジョリティって何かと言うと多数派であることや能力的にすぐれていること、他に経済力があることや見た目の良さ、人に評価され支持されるといったことも入り、そして多くの人が自分もマジョリティのアイデンティティが欲しいと思っている。

支配される側であるよりも支配する側に回りたいのだ。

 

安倍首相は「アイデンティティを与える」というわかりやすさで支持されたという面もあると思うのですが、それは「日本を取り戻す」という言葉で表現されてもいるのですが・・・・・・でも、その取り戻す「日本」ってどんな日本?

日本は日本らしさで、というのはその通りで、蠍座・冥王星が強調されればその反対の牡牛座・金星はどうなっているのか見なくてはなりません。日本としての絶対的な価値。物づくりや文化から、その背景を支えている日本人としての精神性。来年の天王星・牡牛座入りに向けて、これからの星の動きはとても大切だと思う。そんなこともあって、「日本人としての精神性を取り戻したい」と古武術教室を開いている榎木孝明さんの会に参加したりもしましたが、本格的な活動はこれからみたい。

 

 

まぁ、でも、力やマジョリティの側になりたいという多くの人たちのことを考えていたら、記事にまとめなくてはならないのだけど、ちょっと煮詰まってきてしまって・・・・・・今日は加圧トレーニングに行ってきました。

私は食が細いので放っておくと筋力が落ちてしまいます。以前は夕方と夜に食べていたけれど、ここ最近は夜のみ。それの方が調子が良いのです。ショートスリーパーの堀大輔さんは『食べない人ほど仕事ができる!』という本で週3食を提唱していましたが、どのような食べ方がその人によって最善かも、セクシュアリティが多様で個性的であるように、その人それぞれの心地よい食べ方があるはずです。運動の仕方や眠り方、勉強の仕方から結婚生活、仕事のスタイル、子育て、恋愛、atc・・・・・・きっと今は、今までの常識が次々と覆されていく時期なのかもしれません。

 

 

私は仕事をバリバリするために少食なわけではないのですが・・・・・・でも確かに集中力は上がる。周囲もきちんと見る余裕があって、取り組んでいることに集中できる感じです。あとは、食べたい時は楽しく食べます。夜中でも食べるし、食事は一人でも皆とでも楽しんで食べるのはとてもいいですね(*^^*)

だいたいお酒を飲むときは空きっ腹でウィスキーや焼酎をロックで飲むから、この時点で私は健康を気にしています、なんて世間では通用しなさそうです。

 

 

 

 

 

蠍座と冥王星の精油

 

 

最近よく行うボディーケアに、蠍座と冥王星の精油を使ったオイルトリートメントがあるのですが、以前話を聞いたところでは冥王星の香りはとても強いので、使用はよく考えて行っているというセラピストの方がいました。気持ちが細やかなのだと思います。

私はわりと冥王星的なものに親和性があるのか、平気どころか身体の奥から力が漲ってくるような香りと一体となっているのが好きで、トリートメントをしているときは香りの効果とか蠍座や冥王星の意味だとか、香りを感じた感想とか、何も考えません。

 

 

ただマッサージをしていると、なんだろう、底の方からグワァーッっとくる感じで、昔神社で聞いた太鼓の音、腹の底から響いて力強く高揚してくる、脈打つリズム、そのようなものと一体化しているような自分を感じます・・・・・・さすが生命の神秘を司る星です。

 

不動の4星座(牡牛座・獅子座・蠍座・水瓶座)って、命の根幹に関わっているからモロに力を感じるし、また彼らも自分の存在価値にこだわりますね。

 

 

Oshoの『新瞑想法入門』に、くつろぎ、見守り、判断を下さず、観察者ではなく観照者でありなさい、とあります。

観察者ではなく観照者で、というのは、観察者というのは私という主体であり、対象という自分の外側、あるいは内側の心理的な世界も含め、感情や情緒、気分、ハート、霊的な世界さえもなりうるものですが、主体と対象と分け隔ててしまうことで、観察者になればなるほど離れ小島のように離れていく。

 

観照者であるということは、溶け込むこと。融合すること・・・・・・これも諦めの段階にまで進んだ蠍座っぽいのですが、薔薇の花を見ているときに、薔薇という対象と、それを見ている主体である私ということを忘れ、その瞬間の美しさ、その瞬間の祝福に双方を圧倒させること。

そうすれば薔薇と私はもはや別々ではなく、ひとつのリズム、ひとつの歌、ひとつの歓喜となる。

 

泳ぐというのは、ただ水と調和することだし、走るというのは、ただ大地に逆らわず調和することです。

以前、シンギング・リンを用いて倍音療法を行っている白井貴之さんにセッションをしていただいたときに、身体の動かし方について「地球に逆らわない」ということを言っておられました。

 

 

 

溶け込むこと、融合すること。それは躍動するプロセスで、静止した現象ではない。

だからこそ、クライアント様の問題はセラピスト自身から分かたれたものではなく、鏡ということすら適切ではない、これをホ・オポノポノでは自分の潜在意識の中の何の記憶が原因で彼に問題が起こったのか、と考えるのですが・・・・・・

 

 

ともあれ融合し、躍動するリズム、命のリズムと一体となることは大きな力を与えてくれる。

 

あなたに届こうとする薔薇があり、薔薇に届こうとするあなたがあるのなら、それは存在の分かち合いであり、そんなことが夜のちょっとしたトリートメトで感じられるのです。

 

 

アドセンス

<script async src=”//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js”></script>
<script>
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({
google_ad_client: “ca-pub-6530303901137473”,
enable_page_level_ads: true
});
</script>

関連記事

Comment





Comment



CAPTCHA